博士号取得後、定職についていないポストドクター(ポスドク)の就職支援に、日本政府が乗り出します。
1990年代の大学院重点化の国の政策で、博士号を取る人が増えた。しかし、研究職ポストは十分でなく、定職のない博士は2005年に45%、ポスドクは理系を中心に全国で1万5千人以上いるという。
今回の支援は、理系の博士号取得後7年以内の人を公募し、企業や大学などの研究機関で仕事を体験してもらい、正規雇用につなげたいというもの。給与は年間450万~500万円。
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ポスドクの、深刻な状況です。
技術革新の元となる研究・開発が命の日本の企業が、なぜ,積極的に博士を活用しないのか?
その答えは、日本の大学の博士を養成する教育の問題です。
博士号には2つの考え方があります。
一つめは、一生を掛けて立派な研究成果を上げた人への博士号。「終着駅型」とでも呼べる、ヨーロッパの大学が中心のタイプで、文学博士・工学博士などと専門分野が名前についています。このタイプは、研究者は自分で試行錯誤してなるもので、教えて養成するものではない、との考え方を取っています。
もう一つは、一人前の研究者となるためのトレーニングが修了した証明としての博士。「始発駅型」はアメリカの大学で一般的なPh.Dと呼ばれるタイプで、日本では学術博士といわれます。「トレーニングして、自分で研究出来る人を作り上げる」という考え方が特徴です。
日本の大学教育は、明治時代にヨーロッパから取り入れられたので、伝統的に「終着駅型」を採用してきました。 ところが、90年代の博士増産の政策では「始発駅型」を取り入れました。
問題は、この行政による型の切り替えに、大学の指導者(教授)と博士養成プログラムが対応できなかったことです。教授達は「博士を育てる」方法を知らず、伝統的な指導法でPhDを作り出したのです。
その結果、日本の量産された学術博士は、アメリカのPhDに比べて、「新しい分野で研究する力」が弱くなってしまいました。その結果、「日本の博士は、自分の研究してきた分野については強いが、新しい分野の研究を進める力が弱い」ので、技術革新に追われている企業では必要ない、と言うことになります。
70・80年代に、日本とアメリカで大学院教育を受けた、私の見方です。皆さんは、どう見ますか?
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