2009年2月19日木曜日

045 公立校の補習授業

 東京・大田区の全ての公立小・中学校で、無料の補習授業が始まります。

 東京都大田区の教育委員会は、全ての小学校(36年)・中学校の希望者に、放課後や土曜日に無料の補習授業を、この4月から始めることに決めた。また、指導のために、約200人の教員免許を持つ人を講師として新しく採用するとしている。

 小学校の算数と中学校の数学は学力の低い児童生徒の中からの希望、中学校の英語は全員の中の希望者に対して実施する。放課後の補習は週412時間程度、土曜日は年62時間程度を予定している。

 最近日本で広がり始めた公立小・中学校での補習の話題です。 

 帰国子女向けのクラスを開講している進学塾の先生が、東京都杉並区の中学で夕方、補習授業を教えています。他にも大阪府のように、塾講師による補習授業の実施を決めている教育委員会もあります。このように、これまでの補習は、平均以上の子どもを対象に学力を伸ばすのが主な目的でした。 

 しかし、大田区の算数・数学の場合は、学校での平常授業でつまづく子どもに、教科書の内容中心の基礎的な学力を補習するのが目的です。
 これまでも補習塾と呼ばれるタイプの塾もありましたが、成績の伸び悩んでいる子どもの指導は、正規の学校の先生の仕事でした。それを今回、正規教員とは別のパートタイムの講師を200人も雇って、大田区の全ての小中学校で実施するのです。
 先生ではなく講師が教えるのは、先生の負担が大きくなるのと、授業での指導内容とは異なる教材を使用して基礎学力の向上が、その理由として挙げられています。
 その意図は、最近の政府や文部科学省の審議会が薦めている、「指導要領以上の学習内容」の指導を公立学校の普通クラスではじめるための準備なのでしょうか?

 日本の公立学校も変わり始めているようです。

 ところで、アメリカの公立校でも、連邦政府の教育プログラム(No Child Left Behind)の予算を使って、多くの州や学校区で、基礎学力向上のための補習授業を夕方や土曜日に実施しています。
 その中には、英語力の不十分な子供向けのクラスを開いているところがありますので、必要ならば、お子さんのために学校に聞いてみてください。

2009年2月18日水曜日

044 Accountability = 説明責任?

 アメリカの教育の世界でよく使われる「accountability」。この言葉の日本語訳は「説明責任」ですが、その使われ方が違うようです。

School Accountability Report

 全米の多くの州では、「公立の学校が地元コミュニティに、その学校の情報を伝える」ことを要求しています。毎年、学校によって発行されるレポートが、一般的に「School Accountability ReportSAR」と呼ばれます。

 このレポートは、学校の事務室へ出向けば印刷された物が入手できます。また、学校区や学校のホームページで読むことも出来ます。それには、それぞれの学校の教育目標・学級編成・児童生徒や先生・カリキュラム・学業成績、さらに財政状況などが記載されています。

 アメリカでは、地域コミュニティの住宅の不動産税が学校の運営費の一部として使われており、学校の評価と地域の住宅価格が連動しているのが普通です。

 そのため、学校区や学校は安全で質の高い学校を地域に提供する責任を与えられています。その責任を果たしていることを、地域住民に説明するために、SARが発行されています。

 「責任を果たしていることを評価してもらうための説明・報告の義務」が、アメリカでのaccountabilityの使われ方です。


説明責任 

  accountabilityの日本語訳は「説明責任」が一般的で、教育だけではなく、政治や経済・企業の社会でもきくことが多くなりました。ところが、この訳語は「説明をする責任」、すなわち「情報を公開する責任」という意味で、日本では使われています。

 学校内で発生したいじめによる事件を保護者に公表しなかった校長は、「説明責任を果たしていない」と責められます。重要な情報を公表していなかった政府は、野党に「説明責任」を問われます。
 逆に、いじめの発生を、マスコミが報道する前に保護者に話していれば、その校長の「説明責任」は問題にされることはありません。

 

 日本とアメリカの「accountability説明をする責任」の使われ方の違いは、「何に対する責任」かの違いにあります。
 「発表されたSARで学業成績が極端に下がったことが判明した学校の校長は辞職させられる」のがアメリカのaccountability「学校内で発生したいじめを、外部に漏らさず隠した校長が早期退職」するのが日本の「説明責任」、の違いです。

 

 外国語の言葉を、その言葉が持つ本当の意味が伝わるような日本語の言葉に置き換えるのは、大変な作業です。そして、その訳語の使われ方が、文化の違いを表しているようです。

 

 皆さんは、教育で使われる、こんな言葉の例を知っていますか? 何か、ご存知ならば、教えてください。

2009年2月17日火曜日

043 「横並び」の教育?

 「平等重視」の教育のために否定されてきた「学級委員長」が、島根県の小学校で20年ぶりに復活することになりました。

 鳥取県の小学校では、「リーダーを選ぶのではなく平等を重視するべきだ」として、「学級委員長」を置かなかったり、徒競走でも順位を決めてこなかった。しかし、鳥取市教育委員会は、「横並びでは子どもの主体性がなくなる」として、「学級委員長の復活」を各校に薦めている。

 ここで紹介・リンクした記事は、日本各地での「学級委員長」の扱いを取材して、大変興味深いものです。ぜひご一読を!

 「平等を重視する」ことが「他の児童を差別することにつながる」 という、日本特有(?)の「横並び」の平等教育の象徴としての「学級委員長の否定」です。

 しかし、その学級内でのリーダー不在が、「身近な人間関係に立ち向かえず、仲間と問題を解決する経験が欠如している」子ども達を作り上げていると、専門家が結論づけています。「横並び」平等教育の弊害の指摘です。

 そこで、子ども達が「社会性を身につけ、成長する」ために、学級委員長の復活を求めている、とこの記事は紹介しています。

 

 お気付きになったと思いますが、アメリカの学校、特に小学校では、様々な内容の賞(Award)を多く出します。その賞は、周りの子どもと比べてではなく、その子ども自身が努力し向上したことを評価するものです。その客観的な評価が、その子ども自身の「自分に対する自信(自己肯定感)」を育て、さらに飛躍させます。まさに「褒めて育てる」教育です。この教育があるから、ABCも分からない皆さんのお子さんが、元気に学校へ行ってくれるのです。

 その教育の底には、「子ども一人ひとりの努力や能力を伸ばす」というアメリカの平等感が横たわっています。

 

 ここで、私は、日本とアメリカのどちらの平等感が良い、と議論するつもりはありません。

 

 ただ、皆さんに、お子さんが日本とは異なった平等観・価値観で、日々教育されているのだと理解していただきたいのです。

 それが、お子さんへのより良いサポートにつながります。これは、間違いありません。


2009年2月16日月曜日

042 Bible Literature のクラス?

 公立の高校にBible Literature というクラスがあると聞き、受講してる高校生に話を聞きました。

 南カリフォルニアにある公立高校の12年生のRさんは、英語クラスとして、このセメスター「Bible Literature」の授業を受けています。

 このクラスは、聖書をテキストとして、登場人物や物語を憶え、理解することで、英語の文学作品の理解や鑑賞を深めることを目的としています。例えば、英語で書かれた詩を読み、その中で聖書の物語がどのように使われているかを勉強します。

 Rさんは、小学校高学年で渡米して、現地校で学んできました。この秋から進学する大学も決まったので、何か将来役に立つものを学びたいと思い、この授業を取ったそうです。日本語でも聖書を読んだことがない彼女ですが、英語の難しさに加えて、登場人物の多さや内容の複雑さに苦労しながらも、がんばっています。

 

 実は、我が家の長女は、中学生の時に「英語は分かるのだけど、学校で読んでいる小説の中に、何が書いてあるのか分からなかったり、クラスのディスカッションが理解できない。これば聖書の知識がないからだ」といって、友達について教会の日曜学校に通っていたことがあります。高校に入ってからの勉強にずいぶん役立ったようです。

 

 欧米、特に英語で書かれた文学作品の深い理解や鑑賞に、キリスト教・聖書の知識が必要です。そのための、宗教教育ではなく、文学作品としての聖書のクラスの紹介でした。しかし、公立の高校で開講しているのは、初めて聞きました。

 

 ラテン語のクラスを開講している高校はあり、SATAPにはラテン語の試験もあります。英語にはラテン語の語源の単語が多いので、その語幹・語尾・接頭辞などの学習をすると、英語の単語力の増強や文章理解を深めることに有効です。

 

 日本語で言えば、「古文・漢文」がラテン語に相当するのでしょう。しかし、Bible Literatureに相当する「仏教文学」や「仏教の経典」の公立の学校での勉強は、歴史や倫理社会で少し触れる以外は、聞いたことはありません。文部科学省の指導要領には、もちろん入っていません。

 

 「海外で日本人を育てる」ことに、日頃関心を抱いている私にとって、興味深い話でした。

2009年2月13日金曜日

041 1300人の留学の夢が消える!

 留学仲介業者の破産で、1300人の留学希望者の夢が消えてしまいます。

 昨年9月に倒産した留学仲介大手の債権者集会で、留学予定者1300人余が前払いした約10億円は一切戻らないと説明があったと言われてます。


  

 若者の夢を打ち砕いた、悲しいニュースです。

  この業者は、年間8000人もの留学生を扱ってきた大手業者で、留学情報の提供だけではなく、渡航費用・授業料をお客さんから預かっていたとのことです。
 その業者が倒産し、保有財産がなかった。そのため、留学費用を前払いしていた留学予定者への返金は不可能とのことです。まさに、留学するために、お金を工面し、勉強してきた若者の努力が、水泡に帰してしまいました。
 これだけに留まらず、以前の報道では、現在留学中の人の授業料などの支払いも出来ないので、その人達は留学先での勉学をあきらめ、帰国するしか道がないとのことです。

  私が教えている日本の大学のクラスの受講生の半数は、短期・長期の留学を希望しています。留学するために、アルバイトをがんばったり、英語の勉強をしたり、私のクラスを受けたりと、本当の努力して苦労して、留学に旅立っていきます。

 若者達が簡単に海外旅行に出かける時代です。しかし、留学は、日本の教育に飽き足らなかったり、留学先での勉学に夢を抱いたりと、若者達のまじめな気持ちなしには、達成できない夢です。
 その夢を打ち砕く、業者は許せません。

  もう一つ思うのは、「留学は自分の力で十分出来る」と若者に知って欲しいことです。
 私自身、30年以上前の留学生です。最近の世界中からきている留学生を接する機会もあります。どうも、留学仲介・斡旋業者のお世話になって留学しているのは、日本の留学生ばかりのような気がします。

 自分自身の力で留学の準備が出来るようにすることが、留学先での「夢」の実現には必要だと思います。
 がんばってください。

2009年2月12日木曜日

040 高校生が大学生?

 オハイオ州で、公立高校在学中に大学卒業に向けての勉強をする、無料のプログラムがスタートしました。

 高校生が大学のキャンパスで授業を受けて、高校卒業と大学の単位を同時に取れるパイロット・プログラムに、オハイオ州の高校生400人あまりが参加しています。
 このプログラムを活用すると、高校在学中に、大学1年の単位をすべて取得出来ることになります。そのため、高校生の学力向上だけではなく、高騰する大学の授業料の節約にもなるので、注目されています。

Associated Press  200925

 「アメリカの大学は、入学するのは簡単だけれど、卒業するのが大変」
 これは、日本の大学と対比して、よく聞かれる言葉です。

 アメリカの高校は、日本のように大学入学のための勉強ではなく、大学入学後の学習についていける学力をつけることを目的としています。

 最終目標は大学卒業ですから、高校生の間に大学の単位が取得出来るようなプログラムが多くあります。特に最近の大学の授業料の値上がりを反映して、このようなプログラムが広がっています。

 ここで紹介したプログラムの特徴は、高校生が大学へ出向いて、大学の授業を受けることです。
 高校生が、コミュニティ・カレッジで授業を受けて、高校卒業とカレッジの単位が同時に取得出来るのプログラムは、全米のほとんどの地域で実施されています。特に、アカデミックなクラスよりも、服飾・製図・自動車修理などの職業訓練の一貫として授業を受講する高校生は多くいます。

  これまで何度も紹介してきたAP試験は、高校で大学レベルの学習内容の授業・試験を受けて、大学入学時に単位を与えられるプログラムです。AP試験で数科目合格すると、入学した大学の1年、時には2年をスキップすることも可能です。これは、学生・保護者に取って,大きな経済的なメリットになります。

 APクラスは、高校の学力向上への大きな役割も期待されて、州や学校区がオンライン・クラスを設けるなど大きく広がってきています。2008年の高校卒業生の25%AP試験を受験したとのことです。

 皆さんがお住まいの地域や学校で、同じようなプログラムがないか、調べてみませんか?
 もちろん、子どもは、自分から言い出しませんので!

2009年2月11日水曜日

039 日本の「博士」教育

 博士号取得後、定職についていないポストドクター(ポスドク)の就職支援に、日本政府が乗り出します。

 1990年代の大学院重点化の国の政策で、博士号を取る人が増えた。しかし、研究職ポストは十分でなく、定職のない博士は2005年に45%、ポスドクは理系を中心に全国で1万5千人以上いるという。

 今回の支援は、理系の博士号取得後7年以内の人を公募し、企業や大学などの研究機関で仕事を体験してもらい、正規雇用につなげたいというもの。給与は年間450万~500万円。


 ポスドクの、深刻な状況です。

 技術革新の元となる研究・開発が命の日本の企業が、なぜ,積極的に博士を活用しないのか?
 その答えは、日本の大学の博士を養成する教育の問題です。

 博士号には2つの考え方があります。

 一つめは、一生を掛けて立派な研究成果を上げた人への博士号。「終着駅型」とでも呼べる、ヨーロッパの大学が中心のタイプで、文学博士・工学博士などと専門分野が名前についています。このタイプは、研究者は自分で試行錯誤してなるもので、教えて養成するものではない、との考え方を取っています。 

 もう一つは、一人前の研究者となるためのトレーニングが修了した証明としての博士。「始発駅型」はアメリカの大学で一般的なPh.Dと呼ばれるタイプで、日本では学術博士といわれます。「トレーニングして、自分で研究出来る人を作り上げる」という考え方が特徴です。

 日本の大学教育は、明治時代にヨーロッパから取り入れられたので、伝統的に「終着駅型」を採用してきました。 ところが、90年代の博士増産の政策では「始発駅型」を取り入れました。

 問題は、この行政による型の切り替えに、大学の指導者(教授)と博士養成プログラムが対応できなかったことです。教授達は「博士を育てる」方法を知らず、伝統的な指導法でPhDを作り出したのです。

 その結果、日本の量産された学術博士は、アメリカのPhDに比べて、「新しい分野で研究する力」が弱くなってしまいました。その結果、「日本の博士は、自分の研究してきた分野については強いが、新しい分野の研究を進める力が弱い」ので、技術革新に追われている企業では必要ない、と言うことになります。

 7080年代に、日本とアメリカで大学院教育を受けた、私の見方です。
 皆さんは、どう見ますか?
 

2009年2月10日火曜日

038 小学校での英語必修化

  小学校の英語必修化に向けた、今年4月からの英語授業の開始に、小学校の半数以上が「不安」を抱えている。

 2011年からの新指導要領では、小学校56年生の英語(外国語)活動が必修となる。その移行段階として、この4月から多くの小学校で、英語の授業を始めます。
 約5000の小学校と教育委員会へのアンケートの結果、小学校の53%、教育委員会の22%が、必修化に向けた導入に「不安が残る」と回答しています。そして、「指導内容・方法」への不安が79%と最も多くなっています。

「英語必修化、小学校の現場『不安』53% 500校調査」 アサヒ・コム 200929

 

 日本の小学校での英語の話題です。

 現在の小学校の指導要領で、総合的学習の時間の中での外国語会話の活動を学校の判断で行うことが認められました。多くの小学校で外国人補助教員(AT)が、ゲーム・歌・簡単な会話を中心とした英語の「活動」を、週1時間程度行っています。
 この英語活動が、必修授業となるので、その準備状況の調査結果です。

 実は、私自身、10年ほど前の「英語活動の導入」にあたり、講演・セミナー主催・教材開発をした経験があります。その経験から、このニュースを見て、先生方の「指導方法」がもっとも大きな問題だと、思いました。

 ご存じのように、日本では「先生が子どもに教え込む」のが、教室の中の授業のスタイルです。先生は、何でも知っていて、何でも子どもより良くできることが必要だと、先生達は思っています。
 実験授業の30分間のトレーニングで、真似ることの上手な子ども達の発音はネーティブのように自然な音に近づきます。ところが、大人の先生の発音は・・・。その結果「発音(英語)は、私は教えられません。」。外国人のTAに「任せます」と頼み、先生は教室の後ろで見学です。

 現地校の先生は、授業の進行役(facilitator)だと自分のことを表します。子どもの優れたところを伸ばし、苦労している部分をサポートしてあげるのが仕事、との認識です。自分自身が、すべて子ども達より優れている必要はありません。

 英語・英語活動は、発音を教えることではありません。日本の先生方が、文字通り「子どもと一緒に学ぼう」と思わないと、外国人TA任せになってしまします。

 小学校の英語の必修化、何とか成功して欲しいのですが

2009年2月9日月曜日

037 高大接続テスト

 大学での学習への基礎学力を測るため、高校生が受験する「高大接続テスト」の研究が始まりました。

 中央教育審議会が提案したこのテストは、推薦入試やAO入試を受験して大学に入学者が全体の4割近くまで増えており、その学生達の「学力低下が著しい」として、大学入学時点の学力を見極めようとするものです。

 文部科学省の支援の受けて、大学・高校の関係者による、具体的な実施へ研究が始まりました。 


  大学進学を希望する高校生が受験する試験には「センター試験」がありますが、それとは別の試験を作ろうという動きです。

 私は、このニュースを聞いて、日本の大学の「身勝手さ」に、少々腹が立ちます。
 自分たちが推薦入試やAO入試で入学させた学生の学力が低いからといって、高校生に新しい試験を受けさせるのは、身勝手です。

 推薦・AO入試は、「筆記試験(一般入試)では判定できない学力を持った学生を入学させる」という大学側の都合で始めた入試方法です。その「学力」とは、数学や英語の点数ではなく、大学での学問に対する動機・社会体験などの多様性のある「学ぶ力」のことだったのでは?

 ひょっとすると、推薦・AO入試は、一般入試で合格できない受験生のための入試?それじゃ、承知の上で入学させているのだから、「低学力」と文句は言わない!

 また、低学力の嘆きは、「私たち大学は、書類審査や面接や小論文で受験生の基礎学力を見抜けないまま、入学させてしまいました」と、大学の入学審査の能力のなさを告白しているようなものです。

 そこで出てくる疑問は、「誰が合否を決めているの?」。「最終合格者は教授会で承認」というような公式な回答ではなく、実際の合否は誰が?一般入試の場合は、得点順に並べて決定。では、推薦・AO入試では、高校の調査書・推薦書・面接・小論文などを入試担当の教授が判断?もしそうならば、その入試担当者(たとえば、法学部教授?)が高校生を見る目がなかった?

 アメリカの大学の入学審査は、Admission officerと呼ばれるプロフェッショナルが行います。彼らは、長年の経験から高校生のカリキュラムや統一試験の実態などを熟知しており、個々の志願者の実情を判定して合否を決めます。もちろん最終的には教授会(?)など承認はするでしょうが、プロとしての権限は大きなものです。

 誤解のないようにいっておきますが、日本の高校卒業生の基礎学力の低さは、私も認識しています。それは一般入試受験者も含めての現象で、幼稚園から高校までの教育の問題ですから、「高大接続テスト」などという対症療法での解決は図れません。

 この話から、「入れてやる」という大学業界(?)の意識が臭ってきます。
 この姿勢が変わらないと、「30万人留学生計画」の達成は困難ですし、大学の国際競争に曝されて、日本の大学教育が・・・・。 

 今回は、少し興奮して,長くなりました。 お許しを。