「教科書を変えた」との政治家の告白を紹介し、日米の教科書について考えてみます。
麻生首相が、「我々は教育基本法を変え、いい加減な教科書を変えた。相手の方はご存じ日教組。私どもは断固戦っていく。それが自民党だ」と述べた。
教科書検定で「ペットを家族の一員と考える人もいる」との表現が「家族の一員のように親密に思っている人もいる」と変更され、「Aさんの家族(母、父、弟、犬)」が削除された。同時期の国会質疑で自民党議員がペットを家族に含めることを批判しており、首相発言はこうした経緯を指したとみられる。
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このニュース、「いい加減な教科書」と麻生さん(自民党)が判断し、教科書の語句を変更させた、との告白です。
政府の仕事の「教育行政」の中に、文部科学省が行う「教科書検定」があります。
日本の学校現場では、検定に合格した本しか正規の教科書として使えません。その教科書にかかれた内容は事実・真実(?)として先生の口から伝えられ、児童生徒は、それを真実・事実として理解することも求められます。
この改定された教科書で学んだ子どもは、「ペットは家族の一員ですか?」との試験の問いに「いいえ」答えることになります。
誤解のないように言っておきますが、アメリカでは州のレベルで「教科書の内容のチェック」はあります。
例えば、「人間は神様によって作られた」と書かれた教科書は、公立の学校では使いません。
学校区や学校は、州のチェックを通った教科書の中から、1冊を選び、教室での指導に使います。
このステップは、日本も一緒です。
アメリカと日本の違いは、私立の学校で教える内容、その内容がかかれた教科書です。
日本では、私立の学校でも「検定教科書」を使わなければなりません。たとえ、キリスト教や仏教の教えに従った教育をする学校でも、「科学」として「人間はサルから進歩してきた」と教えなければなりません。
ところが、アメリカのキリスト教系の学校では、「進化論」を教えることはありません。
私立の学校へお子さんを行かせている保護者の皆さん、この違いを理解してください。
「教育のどのレベルまで、政治家が関わることが妥当か?」
最近のアメリカと日本の教育のニュースをみて、こんなことを、私は考えることが多くなりました。
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